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その言葉は当たっている。
フェンリルが一番理解出来た。 しかし、それではあの一家が収まらない。 「でもシュネル、ティセルを学院に入れればあの人達は大人しくしてる筈だよ」 「違う!これを聞き入れたら、次の要求が来るんだ!」 シュネルの言葉は真実を付いている。しかしそれを受け入れなければあの人はきっと他の手に出て来る。 そうすれば『フェンリル』の名前が効かない事態になる可能性も出て来るのだ。 そうなった方が遥かに面倒でややこしい事だった。 フェンリルは振り返り、ネイサンを仰ぎ見る。 その瞳の意志の強さにネイサンさえもたじろいだ。 「ティセルを学院に入れる。」 それは相談ではなく、決定。 紫の瞳にはどんな感情も見つけられ無かった。 全てを踏まえた上で、フェンリルは家族への害が無い方法を選んだのだ。それを無下には出来ないし、無視にも出来ない。 「…フェンは良いのか?それで」 「……しかたない」 実の親に愛される妹の為に奔走する。実の親に存在を否定される自分。 なんて違いすぎるのだろう。 ふとフェンリルはネイサンを仰ぎ見た。そこに心配している、という顔があった。 初めは打算で引き取った。それは知っている。でも、『フェンリル』の名を愛していたのも事実。 正統な人間にそれを継がせるのに躊躇いは見せなかった。 でも、それ以上に自分を愛してくれている。 顔をシュネルに向ければシュネルも笑顔で見返してくれる。 「何?フェン」 フェンリルは緩く首を振る事でそれに答えた。 ゆっくりと腕を上げて、シュネルの首に両腕を巻き付けて頭をシュネルに近づけた。 シュネルの首に顔を埋めてフェンリルは眼を閉じた。これからの事を考えるのに、この家族の空気は優し過ぎた。 「あの人達に一回会わなきゃいけないね」 ぴくり、とシュネル、ネイサン、フェスティナの顔が強張った。 シュネルに至っては不機嫌を隠さない。 ネイサンも不快げに眉を寄せるとフェンリルに問い掛けた。 「俺が、伝えれば済むだろう?」 「ネイサンが『フェンリル』の名を振りかざす、なんて思われたくはない」 その程度ならいくらでも思わせておけばいい。それに小さなフェンリルを護る為ならそんな汚名、自分から被れる。 ネイサンは言おうして思い留まった。 そんな事、フェンリルは望んでいないのだ。 そんな言葉を聞けばフェンリルは小さな胸を痛める。 自分のせいで、と沈むのだ。 だから、代わりの言葉をフェンリルに与えた。 「……あいつらに会うなら、こっちに呼ぶ。」 「ネイサン、それは」 「これは決定。」 有無を言わせずにネイサンはフェンリルを脅すように睨み付けた。 一人で会う事は許さない、とその瞳は物語っていた。
そんなフェンリルに話しかけたのは、長期休暇の為に一時帰宅していたシュネルだった。
「フェーンー、どしたー?」 「シュネル…」 心細いというような表情を必死に隠そうとするフェンリルを見て、シュネルは自分の父親を直ぐに睨み付けた。 ネイサンは俺は違うとばかりに手と首を高速で横に振る。 じっとシュネルはフェンリルを見詰める。 無理に微笑む少女が可哀相だった。 シュネルは少女が来たばかりの事も覚えている。 七歳も離れている妹。 しかし本当は従姉妹なのだ。 知っている。 少女の本当の兄も知っていた。 高慢で他人の事など知らぬ風で、権力を振るうその姿に怒り、フェンリルを化け物と言い切った。 その時は流石にブチ切れて、ぶん殴ってやった。 可愛い俺の妹に向かって何て事言いやがる、と。 まぁ、そのお陰で親友にもなれたが。 さらさら、とフェンリルの髪を撫でる。 ふわりと柔らかく笑う顔を見られるのは、自分の特権である。 ぐい、と膝裏と腰に腕を回して自分の目線まで持ち上げる。 「シュネル?」 きょとん、と目を大きくするフェンリルに笑みを向ける。 「何かあったのか?」 「……ううん。」 「フェーンー。ばれる嘘は付かないの」 じとり、と見つめれば、しゅんとうなだれる。 フェンリルは言わないと睨んだシュネルは父親に目を向けた。 ネイサンは息子の頭を撫でて困った顔を作る。 「ちょっとな。マルディナが来てたんだよ」 「え、あの化粧お化け?」 内心上手い、とネイサンは手を叩いて誉めるが、顔には出さない。 シュネルを軽く小突いて訂正させる。 「年上だろう。きちんと叔母さんと言いなさい。」 シュネルは母親似の深緑の瞳を拗ねた様に眇た。 「俺、あの人嫌いだ。いくらフェンの母親でも」 「あーら。フェンの母親は私の筈よ」 堂々と主張するのはフェスティナ。 いつまでも美しさを保つ美女だった。 「母さん」 シュネルはフェスティナを振り返り、フェンリルもまたその動作によってフェスティナを見上げる。 「ネイサン、何があったの?」 そう聞かれればネイサンも黙ってはいられなかった。 渋る様に、言葉を選んで告げようとするネイサンを制し、フェンリルが言う。 「マルディナがティセルを学院に入れたいらしい」 「ティセル?」 シュネルとフェスティナは同時に声を上げた。 誰だ、ティセルというのは、と無言でネイサンを睨む。 「ティセルは私の妹、らしい」 フェンリルの補足説明に二人は驚きに目を見張る。 「ネイサン?」 真偽を確認する為にフェスティナは夫を見詰める。 ネイサンはフェスティナを見て、神妙に頷いた。 事をネイサンが説明する度に、フェスティナとシュネルの顔は強張り、瞳は怒りに彩られる。 流石、親子、と暢気に考えていると、フェスティナは机を容赦無く叩いた。 「何なのよ!!フェンが要るっていうのに!!」 「そんなのが親だからウシュが選民意識の塊なんだよ!!」 ウシュ、ことウクスクルとは親友だが、こういう長期休暇の後に会うといつも、昔のあいつに戻っていた。 それが何故なのか解らなかったが、親がそうなのであれば子供もそうならざる負えない。 「ふ、二人とも、落ち着いて」 慌てるフェンリルを見ても二人は怒りは収まらない。 だから、こう言うのも当然だった。 「あんなの学院に入れても迷惑だ!!」 次へ
フェンリルが我が家に来て7年。
来年にはシェルバ帝國立中央学院、通称、学院に入る事になる。 息子のシュネルは既に学徒としてあちらの寮にいる。 シュネルとフェンリルは仲が良かったから、フェンリルも嬉しそうにしていた。 しかし、あの一家が何も言って来なかった事をこの時まで不振に思わなかった自分を恨む結果になった。 それは、突然--。 「クラウス、来年にはうちの娘も学院に入れたいと思っているのよ」 突然やってきた姉、マルディナはそう切り出した。 興奮しているようで、頬は赤く、満面に喜色を讃えていた。 「……娘……?」 あんたの娘は、俺が引き取った筈だけど、と言いたかった。 だが、その言葉は音になることは無かった。 「今年で五歳になる娘がいるのよ。言わなかったかしら?」 この人は、と怒りに拳を作る。 フェンリルを棄てておいて、何も無い顔して子供を作ったのか。 マルディナはネイサンの怒りにも気付かず言葉を重ねる。 「私の娘のティセルは非常に優秀で、魔力も高いわ。いずれ『フェンリル』の名を継いでもおかしくないわ!」 「ふざけるな!!」 がたん、と大きな音をさせて椅子から立ち上がる。 この人は七年前に眼の前で付けた『フェンリル』を俺の冗談だと取ったのだ。 いきなり怒鳴った俺にマルディナは呆気に取られ、次いで皮肉げに顔を歪めた。 「なぁに。ネイサン、まさか貴方、本当にあの化け物に『フェンリル』って名付けたの?まさかね。あんなのこの世に生きていても害悪でしかないものねぇ」 うふふ、と口許を歪めて笑うその姿は、醜悪だった。 お前こそが化け物で、害悪そのもの。 そう言えば良かったのだ。 だが、言えなかった。 フェンリルがいたから。 ドアの向こうにはフェンリルがいた。 悲しそうな瞳を揺らし、感情を大きくしないように必死で堪えている。 「…そのティセル、が何?学院に入る資格を持つのは七歳以上。ティセルには早いでしょう」 「そこを貴方にお願いに来たんでしょう?何とかできない?」 できる訳なかろうが--!! 「いくら姉さんでも、無理」 流石に心の声をそのままぶつける訳にはいかないので、無下に却下する。 しかし、本来ならそれはフェンリルが決める事なのだ。 俺は前フェンリルである事と、フェンリルが幼い、と言う理由で代わってやっているに過ぎない。 「あら。そうなの。ネイサンも頭が固いのね。次期『フェンリル』候補よ?早めに知識を着けさせた方が良くなくて?」 愚問にも程がある。 眼の前のティセルとか言う娘の魔力は、たいしたことない。 俺よりも下だ。 しかし、あの一家の中では桁違いであるのも本当だ。 だが、魔力どうこうよりも問題なのは、ふてぶてしいその態度。 自分の言う事は絶対に聞いてもらえると思い込んでいる。 こんなのが集団生活など出来る筈がない。 考えるまでも無く、学院へ入る事は認められない。 「何を言おうと俺の考えは変わらないから。帰ってくれる?」 変にプライドの高い姉さんは怒りに顔を歪めて帰っていった。 ティセルは高飛車な表情だった。 「……ネイサン…?」 恐る恐るそう声をかけるのは、フェンリル。 振り返り、ネイサンは笑顔を向ける。 「何だい?フェン」 くしゃりと頭を撫でる。 灰色の猫毛が柔らかくて気持ちいい。 フェンリルは迷う様に紫の、氷のような瞳を揺らす。 「ん?」 首を傾げてフェンリルの言葉を促す。 「…あれは、受け入れた方が面倒にならなかったと思う」 「あー、そうなんだけどね。俺、あの人達嫌いだから。」 フェンリルは口をぱくぱくと開け閉めする。 驚きと明け透けな言い方に言葉が出て来ない。 「…まぁ、あんなのでも俺の姉さんで、フェンの母親、だもんなぁ」 ぐしゃぐしゃと髪を掻き交ぜながらネイサンは溜め息を付く。 不安げに揺れる瞳のまま、フェンリルは二人が出て行ったドアを見つめた。 次へ
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